Day Street

日々が道となり人生となる

一年かけて大学生のスタートラインにたちました。

こんにちはカコイです。早いものでアメリカに来てから1年がたちました。1年が経ち、すこしは自分も成長できたかもと思います。この国に来た当初は、コーヒーを頼むのにも、ホストファミリーとの会話にも不安と恐怖で手こずってばかりでした。しかし、今ではアパートの契約や、Amazonの配達に対してチャットで文句をいうこともデキるようになりました。

カレッジも2年目になりました。2年目というのはただ単に1年が経ったということです。1年が経つと取ってきたクラスも増え、中のよかったクラスメイトの数も増えてきます。今期は特に初めての学期で取っていた留学生用の英語のクラスが一緒だった留学生の友達とも、雑談が弾むようになりました。お互い喋れるようになったねー!って爆笑しちゃうのが感慨深いです。

結構力がついてきたんじゃないか。英語が少しは使えるようになってきたんじゃないか。

エッセイも何度も書いてきたし、リサーチペーパーも書いた。大量の教科書も読んできた。これからもっといろいろ学ぼう!

そう思っていたんです。

しかし、今期取っているあるクラスで完全に実力の無さを感じました。自分がどれだけ自分が無知だったことを知らなかったのか。愚かだったのかを身をもって感じました。今は立ち直っていますが、その時は地獄の淵に突き落とされたかのような、いままで自分が積み立ててきていた物がただのガラクタの集合体だったかのように感じました。

そのクラスはある英語のクラス。高校を卒業した現地の大学生が最初に受ける授業です。今回のプロフェッサーはエッセイの書き上げ工程にPeer reviewというグループを組み、その中でお互いのエッセイを読み、校正し、エッセイのどのポイントが良い・ダメなのかのディスカッションをするというシステムを取り入れています。最初は留学生も沢山いたクラスだったんですが、最初のテストで自分以外の留学生がDrop(クラスを自ら落とすこと)し、最初のPeer Reviewの授業では留学生は僕一人でした。

人生で初めて、自分が書いた文章をクラスメイトに見てもらう。緊張と不安と恐怖に駆られ、何時間もかけて2パラグラフのPre-writingを用意しました。お題はIn defence of Prejudiceというエッセイを読んで、偏見や差別、ステレオタイプに対してポリティカル・コレクトネスが行き過ぎていないかという内容でした。エッセイを書いた後Writing Centerに行き、文法の間違いはすべて訂正しました。準備に準備を重ねて、初めてのPeer Reviewに挑みました。

グループは自分を除いて3人いて、皆高校を卒業した子たちでした。自分より2歳年下です。先生の合図で1人目のPeer Reviewが始まりました。最初は授業ではずっと静かでいつも友達とコソコソ話をしている子でした。この子はどんなエッセイを書いたんだろう。どんな観点から問題に取り組んだのかな?と少しワクワクしていました。でも読み始めた瞬間度肝を抜かれました。

読めなかったんです。エッセイのイントロダクションから読めなかったんです。文章のレベルが違いました。知らない単語、見たこと無い表現方法。彼の文章はとてもアカデミックな文章で、他のグループの子達も読むのが大変だって言ってました。でも、そんなことは関係ないんです。読めなかったんです。

3分の時間があっという間に過ぎ、ディスカッションに入りました。Peer Reviewの開始前から止まらなかった心臓の鼓動はさらに早くなり、不安と焦り、そして自分のエッセイに対しての自信が一瞬にして消え去りました。

他の子達の意見を聞いて、自分もその発言に対して軽くフォローしながら発言をしました。すごい見苦しい発言だったと思います。そして最後に正直に、僕には難しすぎて読みきれなかった。ちゃんと全体を通しての意味を汲み取れなかったと言いました。「分からない」ということをいうことは正直かなり苦しいことでした。先生にわからないから聞きに行くということはありますが、クラスメイトの書いた文章に対して「分からない」ということは申し訳無さと、自分の実力の乏しさでおかしくなりそうでした。

理解できなかったと言うと、その子はすこし笑いながら「結構難しく書いたからねー!時間も短いししょーがないよ!」と言ってくれました。確かに文法が完璧なのかというとそうでもありませんでしたし、単語のチョイスも難しい単語を選んでるけどすこし意味が伝わりにくいと先生に注意されていました。でも、僕はそんなことも分からないぐらいダメだったんです。

もうクラスから逃げ出したい。そういう気持ちを抑えながらPeer Reviewは次の子の番になりました。次のこのエッセイはすごい難しいわけではなく、ある程度読むことが出来ました。めちゃくちゃ必死に読みました。多分3分で2回は読みなおしました。でも次は、ディスカッションで全く自分が意見を言えないことが発覚しました。理解はできるけど、意見ができない。たぶんそれは自分がエッセイの中で書いた人が言いたかったことをしっかりと汲み取れていなかったんだと思います。

そして自分の番。もうこのときはやけくそでした。もうどうにでもなれ。この低レベルの文章を見ろよ。そんな気持ちでエッセイを渡しました。3分間のみんなが読む時間は、まるで処刑されるのを待っているかのような気分でした。ずっと自分の文章を読み返していても気がおかしくなりそうだったので、他の子のエッセイの余分なコピーを貰って、読み直していました。※Peer Review時に配られるエッセイはペン入れして返却するので、余分なコピーを貰う必要がありました。

そして、みんな読みなおして、ディスカッションが始まりました。どんなグラマーのミスが指摘されるんだろう。単語のレベルの低さが指摘されるかな…といろいろなことを考えながら、じっくりと皆の意見を聞きました。でも、不安はつかの間、みんなが指摘してくれたのは「僕は君に賛成かな。言葉は暴力とも取れるし…etc」とか、「この例はすごくいいね!すごいびっくりした!」とエッセイの内容について意見をくれました。この時自分はずっとThank you Thank youと連呼していました。

恐怖や不安が一気に安心と変わるとともに、僕はあることに気づきました。それはPeer Reviewはグラマーや文章のレベルの低さを注意し合う場ではなく、内容について話し合うということでした。僕は1人目のエッセイの時のショックから本来の意味を見失っていました。そこからは、留学生の僕にみんないろいろな細かい表現や、今回のエッセイで触れておくと良い点を教えてくれました。本当に優しい子たちでした。

前回のクラスでDropしたほうがいいんじゃない?とお説教をかましてきたプロフェッサーも読んだ後の感想はyou goodだけでした。めったに褒めない先生で、Aの生徒にはエッセイを無言で返す先生なので、そこそこ良い評価だったのかもしれません。

たった1時間半のクラスの中である事に気づきました。それは自分がまだスタートラインに立っただけだということ。今までESL(留学生用の英語のクラス)以外沢山の一般教養のクラスを取ってきていたけれど、アメリカの大学生の最初の英語のクラスで、レベルの高いことに圧倒されて気づくことができました。まだまだ何も英語のことを知らないんだと。僕はまだ英語をツールとして学んでいくには全然力が足りないことを痛感しました。

生活する上での英語にさほど不自由は感じないけれども、留学をしているという以上そこで止まってはいけない。これは事実で、僕はやっと1年かけてアメリカの大学生のスタートラインに立ったんです。一番基礎の、基礎中のクラスでの格闘が始まった。ということ。今までの一年はその土台作りでしかなったんです。これからが勝負。もう留学生という言い訳は無しで、自信をもって挑んでいかないといけない。もう甘えていられない。

と、いうことをふと洗濯機を回しながら思いましたとさ。