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Day Street

日々が道となり人生となる

高校時代の体育教師の暴力的指導は何だったのか

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こんばんは、今日の晩ごはんはうなぎのタレを使って見ようと思っています。かこいです。

さっきまでクラスの課題をしていたんですが、その中のエッセイが非常に興味深いものでした。内容は「教師の暴力がどのような影響を与えるか」でした。読んでいるうちにいろいろと記憶が蘇り、一部僕がヘイトしている高校体育教師の暴力について書こうと思った次第であります。

体罰問題

日本でも体罰は大きな問題として一時期取り上げられました。体罰のストレスが原因で自殺に至るケースや、精神疾患に陥るケースが問題視されましたね。肉体的罰則は非常に一方的です。しかし、昭和時代にはこれが普通だったということは事実なんですよね。僕も高校時代に一方的に体罰を受けたことがあります。嘘をついていないのに、ついていると決めつけられ殴られたことがあります。

体罰と暴力的指導

体罰と似たような言葉で、暴力的指導というものがあります。この2つの大きな違いは、体罰は肉体的要因そして暴力的指導は言動要因も含むということです。体罰が問題視されたこのご時世、学校という場所では暴力的指導が横行しているのは間違いないでしょう。

運動系の部活にはよく見られることだと思います。まぁそれが普通という環境なのでしょう。親を否定する教師、人生観を否定する教師、個性を否定する教師、他にもいろいろな生徒の物を否定し、蔑ますことを「指導」という教師の命をもって行っている教師は沢山います。

なぜ暴力的指導が生まれるのか

読んだエッセイの中に暴力的指導の原因は「生徒の悪態」に対する手段として書かれていました。僕のフィクションを多少織り交ぜた記憶の中には以下の様な経験があります。

ある日僕は教科書を忘れたので事前に教科担当に申告に行きました。(事前に申告するようにと厳しく指導が合ったため) 忘れたことを報告した後、教師は誰もいない体育館でこのように言い放ちました。

教師「なぜ、忘れた?」

無茶苦茶反省していた僕は答えました

僕「自分の管理ミスです。」

教師は繰り返しました

教師「なぜ、忘れた?」

僕「!?!?!?」(背筋ピシーン)

教師「反省しろやちっとあああああああ」

僕「!?!?!?!?してます!!!」

教師「してねだろおおおお」床をキック(ドカーン)

そして続くは(ありがたい)お説教と人格否定発言。ズタボロにされました。

さぁ、ここで問題なのは僕が悪態をついていたのかということ。背筋ピーンに校則を守った状態、素直に反省の意を伝えたにもかかわらず、ドカーンである。

ちょっと誇張した。

つまり何が言いたいのかというと、エッセイの中に書いてあった「暴力的指導は生徒の悪態を正すため」が当てはまらないんですよ。

むしろ僕は思いました。あ、この先生イライラしてんだなーって。。。

もちろん見てきたケースの中には生徒が悪態をついている場合も沢山ありますよ。でもそれと同じく、明らかに生徒は心から反省して悪態をついていない場合ってのもあるんですよ。

僕は推測します。彼ら体育教師が暴力的指導を行った理由は

  1. 彼らが暴力的指導しか指導方法を知らない

  2. 暴力的指導が彼らの飴と鞭指導法の一環だから

1の場合はもう諦めます。早く教育委員会はそんな教師は規制すべき。教師が生徒を育てて教師になるんだから、教師に問題があったら根本的に間違いです。

2の場合はコレが質悪い。まず言えるのは「一環ならしっかり飴をあげるところまで教育しろ」である。しかし、1:120ほどの比率で教育する彼らに望めることではない。忙しいのだ。

彼らの暴力的指導のメリットとは

彼らがこの類の指導を辞められないのはいろいろと理由があるだろう。教師社会にも裏表あるだろうし、生徒社会より厳しいことも分かっている。だからメリットについて考えよう。

僕が一番に思い浮かんだメリットは生徒と教師の立場をはっきりさせる事ができるだ。

高校一年の頃、一番最初の体育の授業はお説教だった。ひたすら怒鳴られた記憶がある。もっと言えば、初めての学年集会なんて動物園かってぐらい体育教師の声が鳴り響いていた。そして僕も含め大多数がそれにビビる。怖いもん。中学校じゃなそんな先生体育教師の中にも1人ぐらいしかいなかった。

じゃあなんで、立場をはっきりさせることが必要なんだろう。先生って分からせたいならスーツ着て宿題出して授業すればいいじゃん?

必要な理由→舐められないため

教師の体罰がなくなったと同時に一時期問題になったのは、生徒による教師のいじめだった。いじめだけじゃない、生徒が教師を見下すことは沢山のデメリットを生む。進学校であれば学力の低下だろいし、問題行動の増加は学校の威厳と入試志願率に関わってくる。だから、彼らは舐められるのを恐れているんじゃないだろうか。

…あれこれって、悪循環じゃね?

体罰や暴力的指導をなくしたら、複雑な生徒先生間の問題が多発して、逆に体罰などが横行したら、同じように問題が横行する。。。あぁコレダメなぱたーんだわ

結果どのような指導がよいのか

結局学校での指導とはどのように行われるべきなのか。僕が出会ってきたクラス担任の先生方は幸いな事に暴力的指導を無意味にする方々だった気がする。これらの先生方に共通することは論理的かつ理解可能な指導言動だった気がする。意味がわかるってすごい。素直にすいませんでしたって言える。だけど暴力的かつ理解不能な指導言動には素直に謝れなかった。てか謝るべきじゃなかった。コレを考えると僕は論理的かつ理解可能な指導言動が良い指導なのではないだろうかと思う。

最後にエッセイに書いてあったデータの話をしよう。

体罰又は暴力的指導をうえた生徒が将来に社会的問題に手を染める確率は、うけていない生徒より多いそうだ。将来性のことを考えたら、教師は暴力的指導は避けるべきじゃないだろうか。いや、将来のことまで考えてくれている素晴らしい教師は暴力的指導なんてしていないのかもしれない。

最近騒がれている教師のレベルの低下。これが改善されて、上記の問題も少しずつ向上されることを切に祈ろうと思う。

※ちょっと大げさに極論ってるので、嫌な思いされてしまった方がいたらごめんなさい。