Day Street

日々が道となり人生となる

アフリカの子供達論と日本人の性質分析

アフリカの子どもたちは満足にご飯を食べられてないんだから、残さず食べなさい。


こんなセリフを聞いたことはないだろうか。


このような言い回しを「アフリカの子供達論」と表現するのを聞いたことがある。


ちょっと触れるのに神経質になりそうな問題だが、今日はこの論と留学を照らしあわせて考えていく。




今回は頭に浮かんだことをが~って書いただけです。特定の人、グループ、人種、地域を差別しているわけではありません。もし、差別や批判を感じる場合は閉じることをお願いします。文章、論理もまとまってません。結論もありません。読みづらいのが嫌いな方も閉じることをおすすめします。



「アフリカの子供達論」


これらのようなワードで検索をかけると圧倒的な割合で"偽善""一方的な同情"と言葉が出てくる。


論理として積み立てるにはすこし無理があるのは確かだ。

  • まず、状況が違う

日本の子供達の多くは食料にも大きな問題もなく生活している。しかしアフリカの中でも最も貧相な国では食料など一日分を確保するので精一杯かもしれない。


するとこの論理は詭弁(誤った2分法)なのだろうか

誤った二分法とは、物事を無理やりに2つに分けて、それ以外の可能性をすべて無視したうえで話を進める詭弁です。別名『虚偽の二分法』とも呼ばれます。誤った二分法にはいくつかの種類がある
詭弁-生きたくても生きられない人もいるのに(誤った二分法)


「君が何もしたくないと思っていた一日は、誰かが勉強したいと思っていた一日だ」


という言い回しがあるとしよう。


何もしたくない側としては、はっと気付かされるかもしれない。


だけど、忙しくて勉強できなかった側からすると、こいつ何言ってんだ。羨ましいに決まってんだろクソが。と思うかもしれない。


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同情という偽善は、思う側には良い、またはプラスの感情を抱かせて、


対象とされる側にはマイナス、または何も与えない。



日本人の特性で根本的比較を嫌う性格は根強い。

あなた「Aの家のお小遣いはOOOO円なのに、なんでうちはOOO円なの!お母さん」

母親「うちはうち、よそはよそ」


この母親の発言を分析して、


①家庭の金銭的事情
②家庭の教育方針するとしよう。


この場合①は根本的な格差からの否定②の場合は根本的な格差ではなく、方針からの否定になると思う。


アフリカの子供達という①根本的格差上の否定で同じ意味だと考えたとして比較すると、

「アフリカの子供達は満足なご飯もないんだから、残さないでしっかり食べなさい。」

「うちはお金がなくて、あの子の家はお金持ちだから(うちのお小遣いは安いの)」


比較からの言動の要求と、比較からの説得とでも表せるだろうか。

②の「うちの方針は、あの子の家のと違うから(うちのお小遣いは安いの)」

この場合は比較して議論を持ちかけた子供に対して、独自の方針を変えないというスタンスからの説得である。これは詭弁ではない。


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最後にこの文章

「留学したくても、金銭的に出来ない人がいるからしっかりOOするべきだ」

これも分析すると、


①留学において文化の中での体験を主にしたい人②留学において勉強を中心に生活したい人


でわけられるとしよう


この場合「どっちも上手にやれば良いじゃん」という考え方は個人的には無しでいく。極端思考。


これも、①ではデキる人はドンマイとかもっと楽しまなきゃ。という感情でデキない人は羨ましいと妬みになるかもしれない。


②ではデキている人はもっと頑張ろうとか負けられない。という感情に。デキない人は、同じく羨ましいと妬みになるかもしれない。


コレも詭弁なのかな?この文章に中間はそんざいするのだろうか。




続く

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