Day Street

日々が道となり人生となる

FBの画像にフランス国旗の加工にすることの議論から見える日本人らしさ



14日に同時多発テロが発生  128人が死亡



パリのエッフェル塔の光は消され






世界中のランドマークがフランス国旗カラーに染まる。






米Facebookがプロフィール画像をトリコロール加工するキャンペーンを始める。簡単に変更ができるのと、期間を指定できるので多くの利用者がプロフィール画像を変更している。

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ここでFBのプロフィール画像を変えることに対して議論が勃発する。



bylines.news.yahoo.co.jp

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実際自分の周りの多くはトリコロール加工を施しているし、自分もその一人である。
引用した記事などのように別に画像を加工することは別に悪いことではないし、誰かを傷つけるわけではない。
Facebookでトリコロール加工している人は個人情報をリストアップされると、デマを流している人のほうがよっぽど問題がある。



ここで、自分はすこし思ったことがある。


上のような記事がネット上に湧き出てきてから、結構な人々がFBの画像を元に戻したというツイートが見受けられたことだ。


おそらく多くの人々がテロ被害の均等化などを理由に戻したんだろう。


日本人のような同調性が強い文化の人間は周りが賛成すれば、賛成するし、反対すれば簡単に反対する。


ここ数年のディベートの機会でよく思うのだが、日本人はあまり同調することに対して重きをおいていないのではないのだろうか。


簡単に言うと、何も考えないで率直な気持ちで周りに同調し、周りからの目線を気にし不都合を感じるとすぐ反対側に同調する。


これは良い習慣なのだろうか?


良い意味から考えると素直な同調と周りを考えた同調なのだろう


でも、悪い意味で考えると、簡単な気持ちで同調し、すこしでも変だなと思ったら何も考えずにまた別に同調する。責任がない。簡単に意見を変えてしまう人のように感じるのだ。



日本の教育において、自分の意見にしがみつき、相手と討論する機会は殆ど無い。しかしアメリカでは違う。自分が賛成だと思った意見にはしがみつき、相手と討論する習慣がある。


日本と違って意見が合わない人と討論して、喧嘩になることはない。


アメリカの意見の持ち方のほうが大人に感じるのは自分だけだろうか。


協調性があり、適応力があるのは大切なことだが、物事は行き過ぎると問題になる。


個性がなく、意見の交換ができなさすぎるのは問題だ。




だからといって、日本人が嫌いなわけではない。自分も純粋な日本人として同調しすぎるし、個性がないし、個性を出すことを表すことを苦手にしてきた。だけど、最近それだとダメだと痛感させられることが多い。



日本のグローバル化において、言いなりになる文化は終わりを告げようとしている。


政治においても個性と独特な考えが注目されるし、就職でも言いなり新入社員は使えないと言われはじめている。


いまだからこそ、日本人らしさを持ったまま自分の意見をしっかりと持てるようになるべきなのかもしれない。


Webのおもしろまとめを10本見て笑うんだったら、1本ぐらいはテロのニュースを見て考えるべきだろうし、


Youtuberのおもしろ動画を5本見るんだったら、AFPのテロの動画を英語で見てみて内容を考えてみるべきだと思う。
特に英語を勉強しなきゃと思っている人ほどだ。


じゃないと言われなきゃ考えられない人間になって、後悔してしまうかもしれない。




すべて自分の率直な意見につき、議論などは絶賛引受中です。